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大学生の時代から、やってみたいことがありました。それは「怒らないこと」。貴志祐介の小説『青の炎』で出てくるキャラクターの座右の銘である「瞋恚は三毒の一つ」という言葉に強く心ひかれます。
目次
青の炎における「瞋恚は三毒の一つ」とは?
貴志祐介の『青の炎』という小説があります。
これは私が人生の中で読んできた数多の小説の中でも3本の指に入るほど好きな物語でして、
私はこれを題材に大学生当時所属していた社会倫理思想研究室において卒業論文を執筆しました。
この物語の主人公は、ある問題を解決するために殺人を犯します。
それはある種の「燃え上がった怒りの炎」によって行われた犯罪でした。
その主人公の友人に大門という見た目にはひ弱な男がいるのですが、彼のアダ名は「無敵の大門」といいます。
なぜ無敵かというと「決して怒らないので敵を作らないから」なのです。
主人公が大門に「なぜ怒らないのか?」と問うと大門は、
「瞋恚は三毒の一つ」という祖父から聞いたという言葉を持ち出し、
「怒りの炎はいづれ自分をも焼きつくす」と忠告するのです。
三毒とは、貪欲、瞋恚、愚痴
貪欲は、欲深くむさぼり求める心、瞋恚は怒りの心、愚痴は真理に対する無知の心。
三毒は人間の諸悪・苦しみの根源とされている。ブッダの説いた根本仏教、大乗仏教を通じて広く知られている概念である。
【参照】ウィキペディア
とされています。
この現世にて、怒らないことは難しい
誰だって、怒ることなどせずに笑って暮らしていたいものです。
しかし、世の中は怒りたくなるようなことばかり。
小さなことで怒り、イライラしてしまうのは人間の悪いことろですが、
仕方ないのですよ、だって人間だもの。
故にそんな世界に生きながら「怒らない」ことを継続するのは、たゆまぬ努力と信念が必要です。
これは並大抵のことでありません。
私もこれまで何度も「瞋恚は三毒の一つ」を胸に秘めて「無敵になろう」と決意したことがありましたが、
どれも三日坊主で終わりました。
怒りはエネルギー源にもなり得るが…
しかし、怒りは人が生きる上でのエネルギー源になることもあります。
例えば、理不尽な権力の横暴に対して、怒りのエネルギーを持って立ち上がり、
是正と改善を求める。
これは、決して悪いことではありません。
ですが、怒りによって作り出されたエネルギーは「負の感情」です。
いわば「フォースの暗黒面」につながっています。
それは関わる人に、憎しみや妬みなどあらゆる負の感情を与え、その心をも蝕んでいきます。
その怒りに取り込まれてしまうと、それはしばしば悲劇を産んでしまうのです。
いわば怒りは諸刃の剣。
効率的に電力を供給できるが、一度トラブルが起これば地球規模の問題を起こしかねない「感情の原子力発電」なのです。
今年は、怒りません
しかし、今年は怒らないと決めました。
「瞋恚は三毒の一つ」を胸に刻み、僕は無敵になります。
新年早々、どないやねんと思うことがありました。
昨年夏ごろに、とある依頼を受けて作成したロゴマーク。
デザイン案の校正を出したまま、時は過ぎ、すっかりほったらかされて消滅してしまったようですが、
それは別にどうでも良いことです。
問題は、
「校正案として出したロゴマークが、いつの間にか正規のロゴマークとしてホームページで使われている」ということです。
私もそれを見てビツクリしましたが、
「校正案」として出したものが、しっかりと相手先のホームページで使われています。
もちろん私には何の連絡もなく、当然、報酬もいただいていません。
「おいこら、どないやねん」と当然思いましたが、
「瞋恚は三毒の一つだぞ!」と自分に言い聞かせて、心を穏やかな湖の水面のように落ち着けました。
今年の私は怒りませんので、この問題に関してとやかく言うことはありません。
ただ、他のデザイン事務所さんやデザイナーさんと取引するときには、同じことはしない方が良いですよ、と忠告しておきたいですね。
人間性と常識を疑われますので。
なむなむ。
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